親というものはなぜ運動をさせたがるのか

わたしは運動が得意ではないこどもだった。

なんなら今でも得意ではない。得意ではないし、正直、外でスポーツをして遊ぶといったことより、映画を見る、公園でぼーっとする、なんて時間のほうが好きだ。

(わたしの記憶が確かであれば、)わたしのこのインドア志向は幼稚園の頃からずっとのことである。
泥遊びよりおままごと、自分で泳ぐよりお父さんの背中(お父さんを亀のように扱ってごめんなさい)、ドッヂボールよりおえかき、、、

かけっこが遅い、みんなが出来ることがあんまり出来ないというのは子供心ながら恥ずかしくあったけど、少なくとも自ら運動を習いたい!といった記憶はわたしにはない。

絶対にだ。

しかし、わたしの親はそれを許さなかった。

小学校一年生のころから、まずは体操に通うことを余儀なくされ、
さらには水泳も通うことになったのである。

(わたしの記憶が確かであれば、)初回の授業は、いやでいやでいやで、泣いた。

前述したように、わたしは運動が苦手だ。

それがきっかけで馬鹿にされるとかは幸いなかったけれど、みんなができるのにわたしはできない、という時間は恥ずかしかった。

今ならわかる、親はわたしのために通わせたのだと。

だけど、だけど。

体操と水泳の教室に行っても、わたしと同年代の子は、学校と同様にわたしより高いレベルのことができるのである。

結果として、わたしは年下の子と同じグループでレッスンを受ける。
わたしからしてみれば、恥ずかしい時間が増えただけであった。

いやでいやでたまらない体操教室における小学校の6年間が終わったとき、わたしはこれで辞めれる!と思ったと同時に、なにがなんでも中学校の部活では吹奏楽部に入ると決めていた。

ああスウィング・ガールズ。
(のだめカンタービレの流行はまだ先のことだ)

きらきら輝くサックス!トランペット!

しかし、ここでわたしに新たな壁が立ちはだかるのである。

部活を決めるときに、両親は言った。

「中学生のときはいちばん筋肉がつくんだから、運動部じゃなきゃダメ」

こうしてわたしの3年間が新たにはじまったのである。
(ちなみに、わたしはそのあと運動部のなかでもなぜかバスケ部に入部した)



さて、まるで両親へのうらみつらみとなっているが、案外やらせてもらってよかったのかもしれない、とわたし自身ここ数年間思っている。

このブログを書こうと思ったきっかけでもあるのだが、近年運動をやめたわたしは20代にして身体の老いを感じるからだ。

太っているわけでもないのに、すぐ息切れをする。
長時間歩くと翌日の筋肉痛がすごい。

やばい、と本能が訴えているのである。

どんなに運動が苦手でも、適度な運動は大事だ。



そんなわけで、お母さん、娘はジムへ通おうと思います。